02March, 2021 | No.92 | FLOW 今春、学園全体で約5700人が卒業・修了し、それぞれが選んだ道を歩み始めます。新たな世界に羽ばたいていく先輩から後輩たちへ心からの「エール」を送ってもらいました。 生き物が大好きで摂南大生命科学科に入学した江畑さんは、大学2年から大学院まで学費半額分の学内奨学金を給付されるほど成績優秀で、学業に没頭しました。「趣味は実験」と言う研究への情熱が、資生堂の生産技術職の内定にもつながりました。 小さなころからカマキリやオタマジャクシなどを飼って観察するのをひそかに楽しむ珍しい女の子でした。図鑑を読んで研究し、オタマジャクシに足が生えてカエルに成長する命の不思議に魅せられました。中学、高校の好きな授業はもちろん生物。大学では生物に加え医学や薬学も学べる生命科学科に進学するのも自然な流れでした。1年の時から積極的に研究室に顔を出し実験にも参加。4年で取り組んだのがダウン症の研究でした。晩婚化によりダウン症の出生確率が高い高齢出産が増えています。江畑さんは、ダウン症患者の神経細胞が減少するメカニズムを明らかにし、その症状を和らげる薬や治療法の開発につなげる基礎研究を行ってきました。実験は時に土日返上になります。「1つの実験に2週間を費やし結果が出ないこともありますが、その先が患者さんや家族の手助けにつながると思えば大きなやりがいがあります」と話します。 学業や研究が忙しくて部活やサークルはできませんでしたが、その代わりに3年の時に「摂大ブランド商品の企画プロジェクト」のPBL(プロジェクト体験型学習)に自ら参加。地域のものを使った商品を作るという課題を前に醸造工学を学んだ経験を生かし、寝屋川の特産品のサツマイモと、大学と連携協定を結ぶ和歌山県由良町の特産品のミカンを使った焼酎を作ろうと発案。学内で行われた最終報告会では江畑さんがプレゼンテーションを行い、GoodActivity賞を受賞。その後、「初瀬姫」として商品化されました。 PBLでは他学部他学科のメンバーとディスカッションし、「一人では見つけられなかったような答えに気付かされました。さまざまな視点が加わるとより良いものが作れることを学びました」と振り返ります。以前は人見知りで人前が苦手だった江畑さんですが、この活動で自然とコミュニケーション能力も培われ、4年の時から続ける日本薬学会での研究発表にも生かされました。 就職活動では生物と化学の知識が生かせる製薬業界と化粧品業界に絞り、これまでの学業や研究、PBLでの成果をアピールした結果、複数の企業から研究職や技術職の内定を獲得。その中で自分が成長できる環境があると考えた資生堂の生産技術職への就職を決めました。商品化のための試作品製作や、高品質な化粧品の量産、品質管理などに携わる予定です。「ファッションとしてだけでなく、コンプレックスをなくしたり、人を元気付けたり、笑顔にすることができるのも化粧品です」と話し、技術者として高い技術力を身につけ、開発工程の効率化や高品質かつスピーディな商品づくりで会社に貢献しようと意欲満々。「どんな困難も粘り強くあきらめずに続けることが大事。一つ一つの実験を何のために行うのか、また、出た結果を論理的に考察して次の研究や商品化につなげる力を培うことが大事です」と後輩たちにエールを送ります。実験で培った研究力を人を元気付ける化粧品開発に江畑 莉那さん資生堂 内定摂南大学大学院 生命科学専攻 博士前期課程2年えばた・りなPBLの結果、商品化された「初瀬姫」を手にはつ せ ひめ回路)などの開発で小型・軽量化、大衆化が進み、最終的にはカードのような薄さも実現しました。こうした電卓の開発競争がマイクロプロセッサや液晶表示、太陽光電池などの要素技術を日本で発展させ、半導体需要を作り出したのです。世界をリードしていった日本のエレクトロニクス産業を支えたのが電卓だったのです」と小林教授は電卓の果たした歴史的役割を強調します。 スマートフォンにも計算機能がある時代になって、電卓の存在感は薄れていますが、理系の学生たちにとっては今でも必需品です。四則演算以外に三角関数や指数関数など複雑な計算機能を持つ関数電卓です。関数電卓持ち込みが認められている定期試験科目も多いのです。小林教授は「海外では高校生が数学の授業などで関数電卓を普通に使っています。日本の理系教育が遅れている部分ですね」と話します。教育の分野では世界的にも電卓の存在価値は失われていないのです。計算センターが情報処理センターにICTで激変する教育現場の風景 さて、学園に初めてコンピューターが導入されたのは、奇しくもシャープの電卓CS-10Aが発売されたのと同じ1964年でした。富士通の「 FACOM 231」という小型汎用コンピューターです。ICT連携機構の八重垣茂夫さんは、「今のパソコンの機能にも及ばないコンピューターが1~2億円の時代でした」という1979年に学園に入職。以来、コンピューター業務一筋です。学園のコンピューター黎明期について「試験的な導入から始まって、教員たちのコンピューターの共同利用がしばらく続きました。当時はパンチカード方式で、個々の教員がプログラムやデータを何十枚、何百枚ものカードにパンチして、それを私たちが読み取り装置で処理しました。大きなデータだと処理結果をプリンターで出すまでに何日もかかりました」と振り返ります。 その後は電卓の発達と同じようにコンピューターの急速な進化に合わせて、学園のコンピューター整備も目まぐるしく変わりました。1994年に担当の組織名称が「計算センター」から「情報処理センター」になったのも、コンピューターが単なる計算機から情報処理機としての役割が大きくなったことを物語ります。ホストコンピューターの記憶容量が当初のキロバイト(10³)単位からメガバイト(10⁶)単位になり、今ではパソコン1台の記憶容量はギガバイト(10⁹)からテラバイト(10¹²)のレベルになっています。ホストコンピューターによるデータ管理は、よりコンパクトな拠点ごとのサーバーによる管理に変わりました。サーバー同士はネットワークで結ばれています。 誰もがパソコンを持つだけでなく、さまざまな情報端末も登場し、インターネットなど通信技術の進化も背景に教育現場の風景は劇的に変わりつつあります。昨年からのコロナ禍によるオンライン授業の導入は、ICT教育を更に1つ上のレベルに押し上げました。■小林教授のコレクションから常翔歴史館に史料のご提供を………………………………松浦清館長 “モノ”で歴史を語るのが常翔歴史館の使命です。そこで学園創立100周年に向けて大学・学校、ご自宅のどこかに眠る史料のご提供をお願いします。古いものを廃棄処分にしようという時も、安易に捨てないで一度それが史料にならないか考えてください。特に貴重なものでもなく、昔はありふれたものだったとしても貴重な歴史の“証人”になる場合があります。もし気になるものがあればぜひ常翔歴史館までご一報ください。☎ 06-6955-7762 e-mail:Rekishikan@josho.ac.jp〒535-8585 大阪市旭区大宮5丁目16番1号■フランスの哲学者のパスカル(1623~62年)が現存する最古の機械式計算機を作成。徴税官の父の仕事を助けたいというのが動機だった。歯車で動き、加減算しかできなかった。■パスカルの計算機をもとに乗除算もできる手回し式計算機をドイツの哲学者ライプニッツ(1646~1716年)が発明。この手回し式の機構はその後、約300年にわたって続いた。■19世紀になってイギリスの数学教師バベッジ(1791~1871年)が、天文学の計算を楽にするため加減乗除の四則演算の切り換えや数値データの転送をカードに穿(せん)孔したプログラムで実行させる自動計算機「解析機関」を構想。■1936年にイギリスの数学者チューリング(1912~54年)が、すべての計算ができる仮想自動機械の数学的モデルを考案。チューリングマシンと呼ばれ、コンピューターのモデルとされる。■1944年に米国ハーバード大のエイケン(1900~73年)がIBM社と協同で、バベッジ解析機関に電気的な機構を導入することで実現した電気計算機「Harvard Mark Ⅰ(ハーバード・マークワン)」を完成。コンピューター前史1964年1974年1980年1984年1986年1988年1994年1996年1997年2000年学園初のコンピューター(富士通FACOM231)導入IBMのコンピューターシステムを導入し、学園の教育・研究・事務での総合利用開始中央研究所の組織下に計算センター設置大阪工大・摂南大間のコンピューターネットワーク開始大阪工大で100端末を並べた演習室での授業開始。全国から見学が相次ぐ国際大学間情報ネットワーク(BITNET)に加入学園初のスーパーコンピューター導入インターネットに接続計算センターを情報処理センターに改称大阪工大情報科学部開設で並列コンピューターを含む情報処理教育研究システム導入計算サーバーを含む情報処理教育研究システム導入大阪工大大宮・枚方両キャンパスの教育用パソコンを新機種に変更学園のコンピューター導入の歴史くれいめい22March, 2021 | No.92 | FLOW電卓などのコレクションについて語る小林教授と理系学生必需品の関数電卓(左上)ICT連携機構の八重垣さん=摂南大枚方キャンパスの情報処理演習室で初代カシオミニ(1972年) 「電卓をオフィスから家庭や個人に広め、市場を一気に拡大しました」(小林教授)。1台が4~5万円と高価だった時代に、1万2800円という安さと、「♪答え1発…」のテレビCM効果もあり、1年弱で100万台を売る歴史的ヒット商品になった。シャープのPC-G850 電卓ではなくポケットコンピューター。BASIC言語で簡単なプログラミングができるため、今でも工業高校などで教育用に使われている。小林教授は中学時代からポケコンを使ってゲームのプログラミングを始め、大学生のころは実験の計算、データ処理にも使っていた。
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