常翔学園FLOW92号
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01FLOW | No.92 | March, 2021  自動車の安全や快適さを左右する振動・騒音の解析技術を研究してきた額田さんは、今春から「世界のトヨタ」のエンジニアとして歩み始めます。研究でもクラブ活動でも「ゼロからのスタート」に迷いのないガッツの持ち主です。興味を持ったらとことん追求する姿勢が就職活動でも実を結びました。  幼い時から病院で寝たきりの祖父の姿を見ていた額田さんは、「介護ロボットを作りたい」と大阪工大機械工学科に入学しました。和歌山の高校では理系でしたがロボットについては全く知らなかったので、入学するとすぐ自由に好きなロボット製作に取り組める機械工学研究部に入部。そこで二足歩行ロボットに没頭し、構想から部品調達、設計・加工、大会出場までロボット開発の基本を身につけました。 ロボットに熱中した額田さんでしたが、3年生の所属研究室選びの際に、新しく挑戦したいと思えるテーマに出会いました。吉田準史教授が指導する自動車の振動・音響研究です。「私の抱いていた自動車開発のイメージからちょっと外れた分野でしたが、先生のパワフルな話に惹かれました。突き詰めたら面白いかもと思えたのです」と振り返ります。父の影響で自動車・バイク好きだったことも後押ししました。といっても音や振動についても全くのゼロからのスタートで、学部時代は「ただただ基礎的な勉強や実験に忙しかったな」という印象です。実験機器が多く、時には準備だけで4~5時間かかることも。「学部生の時は研究の本当の面白さは分かりませんでした」と打ち明けます。 しかし、大学院に進んでからは日常の小さなことまで振動理論で説明できることに気が付き、研究の面白さにのめり込んでいきました。「今では走行中の自動車が発する異音や振動の種類で、どこに不具合があるか分かるようになりました」と話します。ガソリン車でも電気自動車でも動く限りは、エンジンや地面との接触、風などによる振動や音が付いて回ります。自身の研究では、走行時に発生するノイズの原因が自動車のボディーなのかフレームなのかを解析することに取り組みました。「振動や音が車の商品性にかかわる大事なことだとすごく感じています。いつか独自の解析技術を開発したいです」と更なる研究に意欲を燃やします。 息抜きは学部4年生の時に購入した250㏄バイクでのツーリングですが、研究結果を確かめる“実益”も兼ねています。高校ではなぎなた部の部長でしたが、大学ではクラブがなかったため個人参加で関西の大会に出場して優勝をするほどの腕前です。なぎなたも高校でゼロから始めました。昼間は研究活動、夜はホテル清掃のアルバイトと忙しさの変わらない額田さんは、何事にもあきらめずに全力投球するのが信条。コロナ禍でオンライン面接が多かった就職活動は、回線トラブルなど多くの困難に見舞われましたが、信条通りの粘り強さで第1志望のトヨタ自動車からの内定を得ました。大阪工大からは15年ぶりのことでした。 そんな額田さんは「どんなことでも途中であきらめたりせず、『全力でやり切った』と思えるくらいに追求していってください。その経験が必ずいつか生きます」と後輩たちにエールを送ります。ロボットも車の振動・音響研究もゼロから始めて全力でやり切った額田 神暖さんトヨタ自動車 内定大阪工業大学大学院 電気電子・機械工学専攻 博士前期課程2年ぬかた・かのん息抜きと実益を兼ねたバイクツーリングを楽しむ額田さん振動を分析するために製作した自動車模型と巻頭特集新卒生からの「エール」2021Yell大英科学博物館で永久保存の歴史的な電卓 計算機は20世紀半ばになって電子計算機、つまりコンピューターへと発展していきます。世界初のコンピューターとされるENIAC(Electronic Numerical Integrator and Calculater)は米陸軍の弾道計算のために1943年に開発が始まり、戦後すぐの1946年に完成しました。機械式や電気式の計算機と違って歯車や軸などの物理機構に頼らず、電流のオンとオフのデジタル回路だけを利用するため電子計算機と呼ばれました。その後、コンピューターはプログラム内蔵方式が考案され、スーパーコンピューターやパソコンに急速に進化していきます。一方でそれと並行して計算機能に特化した卓上で使える電卓の開発の流れも生まれました。その出発点と言えるのがシャープCS-10Aなのです。 常翔歴史館が所蔵するCS-10Aは、大阪工大大宮キャンパスの電子情報システム工学科の物置で長年保管されてきたものです。CS-10Aは早川電機工業(現:シャープ)が、そろばんのように「いつでも・どこでも・だれにでも」使える小型計算機として東京オリンピックの開催された1964年に完成。 数字入力は10桁、表示は20桁、大きさは420×440×250mmで、重量は25kg。演算にかかる時間は、毎秒加算80回、減算60回、乗算2.5回、除算1.2回。まだテンキーではなく、桁ごとに1から9の数字が並んでいます。定価は53万5000円で、当時の大衆的な乗用車とほぼ同じでした。 ロボットの知能化などを専門とする大阪工大システムデザイン工学科の小林裕之教授は、歴史的なものも含む電卓200台近くを収集する“電卓愛”にあふれた研究者です。CS-10Aについて「世界初のオールトランジスタによる電卓で、その後の開発競争の出発点となったまさに歴史的な製品」と評価します。1984年には英国・大英科学博物館に永久保存されているほか、2005年には世界的な電気・電子学会IEEEから「IEEE マイルストーン」に認定されました。「CS-10Aの登場後、電卓はIC(集積回路)、LSI(大規模集積科学技術の発展で高まった計算機の需要 企画第3回で取り上げたように学園創立から戦後しばらくは、建築・土木や電気、機械などを学ぶ学生たちの計算手段はそろばんや計算尺が主流でした。ただ、産業や科学技術の発展につれて複雑で桁の大きな計算も増えていき、自動的に計算ができる機械式計算機の需要も高まりました。その代表的なものが常翔歴史館にも残るタイガー計算器です。「連乗式第20号」という1953年ごろ発売の製品で、大阪工大の教職員が研究などの計算用に使っていたものです。手動で歯車を回すもので、大阪で金属加工工場を営んでいた大本寅治郎(1887~1961)が、海外の卓上型機械式計算機を改良して特許を取得し、1923年に「虎印計算器」として売り出しました。製造した「タイガー計算器株式会社」を現在引き継ぐ「株式会社タイガー」のウェブサイトで、当時の計算機需要の背景を知ることができます。<自信をもって発明に着手したにもかかわらず……市場を獲得することは困難をきわめた。……そこで「虎印」を「TIGER BRAND」に変え、舶来品として売ってみることとした。この苦策は想像以上に巧を奏し、……240円で一台販売することが出来た。……大正13(1924)年3月改良を重ねた3台がすぐさま呉海軍工廠へ1台545円の価格で納入された。やがて計算器が世に出る機会が到来した。関東大震災後、東京復興の機運がみなぎり大建造物、大工場の建設が始められた。鉄筋・鉄骨造の建築物や大工事には強度その他の計算を必要とし、しかも算盤や筆算では間に合わず大量の計算器が必要とされる>(「株式会社タイガー」ウェブサイトより) まず軍需工場や建築・土木の分野で計算機が求められたのです。タイガー計算器は1960年代末期に電卓が広まるまで国内で最も普及した機械式計算機で、会計や設計の業務などで広く使われました。価格と性能で外国製品に勝り、累計販売台数は50万台弱に達しました。1970年に生産が中止され、現在の会社は運輸・物流システムの開発などの事業を行っています。 そろばんから現代最先端の量子コンピューターまで、計算道具と計算機の進化は計算スピードの探求の歴史でした。それは商売の利便にとどまらず、さまざまなものづくり分野の研究・開発のスピードに密接に反映するからです。そして今や、コンピューターは計算機であると同時に新たな付加価値を生む情報処理機としてあらゆる分野で不可欠なものです。その計算機の急速な進化の過程を示す古い2つ計算機が常翔歴史館に所蔵されています。特に1964年に生まれた国産初の電卓(電子式卓上計算機)のシャープ「CS-10A」は歴史的な産業遺産です。3月20日は「電卓の日」(ビジネス機械・情報システム産業協会制定)ですが、この電卓から始まった日本の電卓生産数が1974年に年間1000万台を突破し世界一になったことを記念したものです。連載企画の第7回は、学園と理系教育に欠かせない計算機のかかわりを振り返ります。そろばんの時代から今は関数電卓が必需品に学園のコンピューター初導入は1964年「常翔年“モノ”語り」学園センテニアル企画centennial7理系教育は計算機の進化と共にこう しょうそろ ばん21FLOW | No.92 | March, 2021シャープ電卓CS-10Aタイガー計算器 連乗式第20号

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