常翔学園FLOW90号
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ランクインした日本の大学※同一ランク帯内は、英語名称のアルファベット順(1001+位以降は近畿2府4県の大学を記載)36位:東京大54位:京都大201~250位:東北大301~350位:東京工業大351~400位:名古屋大、産業医科大、大阪大401~500位:九州大、東京医科歯科大、筑波大501~600位:藤田医科大、北海道大、帝京大601~800位:会津大、東京慈恵会医科大、関西医科大、慶応義塾大、神戸大、日本医科大、横浜市立大801~1000位:千葉大、広島大、兵庫医科大、順天堂大、近畿大、久留米大、京都府立医科大、新潟大、岡山大、立教大、東京医科大、東京都立大、早稲田大1001+位~:同志社大、兵庫県立大、関西大、関西学院大、京都産業大、京都工芸繊維大、奈良県立医科大、大阪市立大、大阪工業大、大阪医科大、大阪府立大、立命館大、龍谷大、滋賀医科大次の目標は1000位以内■2020年の学長方針でTHE世界大学ランキング入りが目標に掲げられたばかりで、早くも結果が出ました。初のランクインの率直な感想をお聞かせください。益山 目標達成に向けて全学一丸で取り組んできただけに素直に喜んでいます。キャンパスミーティングで教職員の情報共有や意識の統一、研究活性化の啓発を行ってきたことが奏功したものと思います。教職員の皆さんの尽力に感謝します。ただ、現実にはまだ1001~1527位の間(独自計算では1350位)で、教育・研究で世界を相手に勝負する土俵に上がる資格を得たという段階です。次の目標は1000位以内です。■ランクインは在学生や受験生にどう影響するでしょうか?益山 このランキングを知っている在学生は少ないと思います。しかし、「母校が教育・研究で世界基準のポテンシャルを持っている証しだ」とその意味を伝え、偏差値による大学の序列の先入観を捨てて自信を持ち、私が繰り返してきた“Be proud of OIT”という大阪工大生の誇りを胸に学修・研究に取り組んでもらう材料にしたいです。また、受験生にも分かりやすい広報に努めます。このランキングを知る進路指導の高校教員も増えており、グローバル志向のある受験生に本学を勧めてもらう材料になります。■日本の大学全体の研究力の低下が叫ばれています。大阪工大の研究力を伸ばすための取り組みや目標を教えてください。益山 我が国では教育・研究者が大学運営や予算獲得に時間を取られて研究に集中しにくい状況が続いています。その中で、本学では研究支援・社会連携センターが中心になって、研究ブランディングに取り組んできました。①研究成果の発信力強化:一流のジャーナルへの積極的な論文投稿の勧め②競争的研究資金獲得拡大の施策:科研費やNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)、JST(科学技術振興機構)など研究支援プログラムへの応募手引き作成③私立大学研究ブランディング事業(2017~19年度)にも選定された地域産業支援プラットフォーム(OIT‐P)の推進:本学の得意分野の「ナノ材料」「ロボティクス&デザイン」「知的財産」で地域企業を支援、などです。こうした取り組みが確実に成果を出しています。■産業界との連携や資金獲得にも積極的に動いていますね。益山 大学の研究見本市であるイノベーション・ジャパン(JST主催)にも積極的に出展し、今年は採択数で全国1位になりました。2018年に続いての快挙です。また、JST大学発新産業創出プログラム「社会還元加速プログラム(SCORE)大学推進型」の実施機関に神戸大と連携で採択されました。これによって本学で開発した先端技術の技術移転や大学発ベンチャー育成につながるGAPファンド=*注2=を提供できます。 更なる外部研究資金獲得を目指し、学部学科横断・文理融合・産学連携の研究を推進する「研究プラットフォーム群」=*注3=を設置しています。大型競争的研究資金も獲得できる組織に発展させたいです。先導的な研究成果の教育へのフィードバックも目指し、実践型人材育成大阪工大が初の世界ランク入り教育・研究のポテンシャル示す 英国の高等教育専門誌「THE(Times Higher Education)」が9月2日に発表した2021年の世界大学ランキング=*注1=で、大阪工大が初めて1001+位にランクインしました。ランクインした大学は93カ国・地域1527校で、これは世界に約2万3000ある高等教育機関の約7%です。このランキングは「教育」「研究」「被引用論文(研究影響力)」「産業界からの収入」「国際性」の5分野について、13の指標で各大学のスコアを算出して毎年発表しているものです。2021年版における日本の大学のランクイン数は前年より6校多い116校でした。益山新樹学長にランクインの手応えや今後の目標などを聞きました。巻頭特集THE世界大学ランキング01FLOW | No.90 | November, 2020礎を築いた大海教諭はどんな指導者だったのか、50年誌のOBの寄稿文に回想されています。<(大海先生は)「お前達はラグビー部に入る迄は、ほとんどの者が悪童で他校の生徒とケンカもよくしたと思うがラグビー部に入ったからにはケンカは絶対に禁じる、ただしその闘争心をラグビー競技にぶっつけよ、……やられたらやって返せ、……ケンカではなくタックルで返すのだ」と口ぐせの様に云われた><当時クラブチームで最強を誇った関西ラグビー倶楽部=注3=のメンバーで有り、日本にラグビーを初めて持ち込まれたクラーク博士とも面識が有ると聞き、大いに気を良くしたもので有る>                     =福井英夫(1941年卒) 常翔歴史館に残る記録によると、1912年生まれの大海教諭は関西工学校建築科と関西高等工学校建築学科の卒業生で、1937年に母校の教諭になっています。慶応大でラグビーを伝えたクラーク博士=注4=という歴史的人物と大海教諭の記念写真も50年誌には掲載されています。 創部した1937年に発行された校友会誌「関西工学学報」は、ラグビーの紹介文と部の活動報告に3ページ近くを割いています。まだマイナーだったラグビー競技の魅力を生き生きと伝える文章で、創部当時の新鮮な勢いが感じられます。ラグビー先進地の大阪に 戦前にラグビーが大阪で人気スポーツになっていった大きな理由の1つは、もちろん1929年に我が国初のラグビー専用スタジアム「花園ラグビー運動場」(現在の東大阪市花園ラグビー場)が誕生したことでした。その建設の経緯です。 1928年10月、秩父宮様=注1=が橿原神宮にご参拝のため大阪電気軌道株式会社(現在の近畿日本鉄道株式会社)の電車に乗車され、役員の方と車中でご歓談中、「沿線にはずいぶん空き地が多いじゃないか。この辺に今台頭しつつあるラグビーの専用競技場を作ったらどうか。乗客も増えて会社も利益を得るのではないか」という内容のお言葉があったことによります。                (東大阪市のホームページより) 花園ラグビー場誕生と同時にそこを本拠地とする近鉄ラグビー部も創部されました。国内ラグビー界をリードしていった強豪チームの存在も大阪でのラグビー人気を高めたようです。こうしてラグビー先進地となった大阪に、関西工学校ラグビー部が誕生したのです。礎を築いた大海卯一教諭 大阪工大高ラグビー部創部50年誌(1989年10月発行、ラグビー部OB会編)には<昭和10年頃、当時関西工学校建築科教諭の大海卯一先生が体の強そうな連中を集め、ラグビー競技の手ほどきをされたのが始まりで、その後陸上部、柔道部、剣道部よりこのラグビー競技に興味を持つ者が集り、昭和11年頃にはむつかしいルールもほぼ覚え、チームとしての陣容もととのったので関西工学校ラグビー部として、学校側の許可も受け、西部ラグビー蹴球協会=注2=に加入。昭和12年2月24日正式に関西工学校体育会ラグビー部として誕生した>と書かれています。学園のラグビーの 常翔学園にとってラグビーは学園の代名詞的なスポーツですが、その原点は戦前の関西工学校時代にさかのぼります。大阪工大高(現:常翔学園高)ラグビー部創部50年誌によると、1937(昭和12)年2月24日、正式に関西工学校体育会ラグビー部が誕生しました。今年で83年の長い歴史です。1929年の花園ラグビー運動場誕生でラグビー競技が盛んとなった大阪府下の中学校で10校目のラグビー部でした。今回の手掛かりは1枚の試合写真です。よく見ると選手全員が裸足です。第2次世界大戦下、「継ぎはぎだらけのラグビーボールを裸足で追いかけた」と記録され、ラグビーへの熱い思いが伝わる1枚です。戦後の華々しい常翔ラグビーの活躍はよく知られていますが、その飛躍の原点はあまり知られていません。1943年9月の大阪府大会・浪速中戦。裸足で戦う両軍。金属非常回収の政策でスタンドの大鉄傘が取り除かれているのが分かる=大阪工大高ラグビー部創部50年誌より創部の1937年、関西工学校ラグビー部と大海教諭(中央の白いジャージ姿)1943年9月の大阪府大会・浪速中戦。裸足で戦う両軍。金属非常回収の政策でスタンドの大鉄傘が取り除かれているのが分かる=大阪工大高ラグビー部創部50年誌より21FLOW | No.90 | November, 2020戦時体制下にも裸足で追った楕円球終戦後1カ月で淀川河川敷に「常翔年“モノ”語り」学園センテニアル企画centennial6常翔ラグビーの熱い原点い

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