常翔学園FLOW89号
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作詞の竹友藻風は詩人で英文学者、関西学院大や大阪大の教授を歴任しました。メロディーは動きのある前半と流れるような後半のコントラストが印象的です。作曲の信時潔は戦時中の大本営発表の際に流されたことで知られる「海行かば」の作曲者です。東京音楽学校(現:東京芸術大)作曲科教授を務め多くの著名作曲家を育てました。大阪市で牧師の子として生まれた、大阪ゆかりの有名作曲家だったのです。 さて、大学歌には出てこない大学名を入れた応援歌が1952年にできました。今回の“モノ”語りのモノは、常翔歴史館に展示されているその応援歌の歌詞の直筆原稿です。詩人、西條八十=写真上左・毎日新聞社提供(1935年10月撮影)=が万年筆で原稿用紙に書いたものです。学園80年史には、1952年3月27日の第1回卒業生159人の「卒業式に合わせて『応援歌』が披露された」とあります。象徴詩人としてデビューし、多くのヒット歌謡曲も手掛けただけに、この応援歌の詞も、「火を吐く力、力、力」「烈風の葉を捲くごとく」「躍り立つ金色のアポロ、工大!」「日輪の野を燬くごとく」「雲翔ける必勝の天馬、工大!」と詩的な言葉が並び、応援の場で歌うと自然と感情が高まるようにできていて、さすが手練れの作詞家です。作曲はその後に昭和歌謡を代表する作曲家になった古賀政男=写真上右・毎日新聞社提供(1973年12月撮影)=です。同じ1952年のヒット曲「ゲイシャ・ワルツ」も西條・古賀のもので、そんな売れっ子コンビに応援歌を依頼したことになります。格安! 1万円の作詞作曲料 当時、学生が発行していた工大新聞(後の大阪工業大学新聞) 1947(昭和22)年、新たに教育基本法と学校教育法が公布され、「6・3・3・4」制の新教育制度がスタートしました。戦前の実業学校令に基づいて設置された関西工業学校と摂南工業学校は新制中学、新制高等学校に移行。専門学校令に基づいていた摂南工業専門学校は、新制高等学校に移行するか新制大学に昇格するかの選択を迫られました。「万難を排しても大学昇格を」(1948年4月の理事会)との希望を持っていた学園は、戦災で大きな被害を受けながら復旧計画を練り、文部省(当時)の指導も受けて、1949年3月に認可を受け「摂南工業大学」として大学昇格を果たしました。4月に入学者を迎えて開校。半年後には、「戦前の校風一新を」との学生の運動もあり「大阪工業大学」に改称しました。昇格を果たし、「大学」を強調? その同じころ生まれた大学歌の歌詞です。♪1番 産業の意図たくましく/都の力あつまりて/築き上げたる大学を/仰げ雲霧晴れわたる/生駒の山の空高し ♪2番 新生の道ひらけ行く/国土の命みなぎりて/望みゆたけき大学を/歌え広野に大淀の/堤をあらふ水清し♪(作詞:竹友藻風) 大学名が入っていないのは改称のごたごたを反映しているのかもしれませんが、それよりもむしろ「大学」を強調したかったのではと受け取れます。「苦労の末に勝ち取ったぞ」という大学昇格の喜びは、2番冒頭の「新生の道ひらけ行く」にも反映しています。なお 戦後の学制改革で1949年4月、摂南工業専門学校が摂南工業大学として新制大学に昇格しました。半年後の10月には「大阪工業大学」に名称を変更し、名実ともに学園の新時代がスタートしたのです。新たな学校がスタートする時に必ず付いてくるのが校歌や大学歌。現在放送中のNHK朝ドラ「エール」で早稲田大の応援歌「紺碧の空」に注目が集まりましたが、大阪工大の大学歌や応援歌からもその時代の歴史や人々の熱い思いが読み取れ、感じられます。大学歌の作曲家は「海行かば」で知られる信時潔で、応援歌は古賀政男が作曲、西條八十が作詞という当時の超一流の作詞・作曲家の名前が連なっています。今回は学園にまつわる大学歌などからそこに込められた思いを振り返ります。西條八十直筆の大阪工大応援歌の歌詞(1952年) その同じころ生まれた大学歌の歌詞です。 産業の意図たくましく/都の力あつまりて♪1番 学を/仰げ雲霧晴れわたる/生駒の山の空高しひらけ行く/国土の命みなぎりて/望みゆたけきに大淀の/堤をあらふ水清し♪(作詞:竹友藻風 大学名は改称のているのが、それを強調し受け取れに勝ち取学昇格のの「新生にも反映25FLOW | No.89 | August, 2020古賀政男らの人気作曲家西條八十ら大詩人の名も「常翔年“モノ”語り」学園センテニアル企画centennial5大学歌、応援歌に新生の思い大阪工大大学歌や

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