常翔学園FLOW89号
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「遊戯」から「体育」へ─ 日本のスポーツ受容が始まった明治時代にはスポーツをどうとら  えていたのですか?服部 日本においても明治時代にはスポーツは「遊戯」と訳され、語源の意味に近い訳でした。それより前(明治初め)には「釣り」や「乗馬」と訳されたりもしました。外国人居留地で釣りや乗馬をしているのを見て日本人が「何をしているのか?」と聞くと、「スポーツだ」と答えが返ってきたための誤解でしょう。そのうちにそれらの活動すべてを総称して「スポーツ」と言っていることが分かり、やがて「遊戯」という言葉を当てはめたのです。その後、富国強兵など軍事的な観点が加わって「身体を鍛える」という面が強調され、スポーツは「遊戯」から「運動」「体育」と混同して使われるようになったのです。昨今、国民の祝日であった「体育の日」が「スポーツの日」に、また「日本体育協会」は「日本スポーツ協会」に名称変更されました。今、こうした言葉の整理も行われているようです。 日本には、近代スポーツの多くが明治・大正時代に欧米から入ってきました。戦争によって一時中断されましたが、戦後GHQは日本に民主主義を浸透させるためにスポーツを積極的に取り入れました。つまり、ルールを自分たちの手で作り、そのルールを守っていくというスポーツの過程を体験させることで民主主義を浸透させることにつながると考えたのですね。勝利至上主義、精神主義、商業主義が忘れたもの─ 昔はスポーツを今よりもっとおおらかなものととらえていたので  すね。服部 日本は、根本に「遊び」や「楽しみ」があったスポーツの歴史や人生を豊かにする価値を問うことをおろそかにしたため、不屈の精神や根性があればどんな目標にも到達できる、そのためには「殴られても蹴られてもいい」といった「精神主義」や、勝敗に終始し、技術的に優れている者だけが称賛される「勝利至上主義」のような偏った方向に進み、そんな偏った指導を受けた人たちが今日指導者となって、暴力的な問題を起こすようになったのではないかと思います。また、日本だけでなく世界に目を向けても、もともと近代スポーツにあった競争原理が過剰になったことからのさまざまな問題が目立っています。ドーピングや商業主義です。 これらの問題はオリンピックを見ても分かります。そこでは勝利至上主義が金メダル至上主義になります。日本のメディアは大会が始まると「国別メダル数」の表を掲載しますが、基準は金メダルの数です。金銀銅の区別なく全メダル数でランキングをつけている国があるのとは対照的です。また1964年の東京オリンピックの時代は、「スポ根」のテレビアニメが人気を呼びました。根性で猛練習としごきに耐え、最終的に屈強な外国人選手に勝つというパターンのアニメばかりが放送されました。また、商業主義の弊害は最近の夏季オリンピックが大手テレビメディアなどスポンサーの都合で真夏の開催になっていることに表れています。熱中症などの危険を考えるととても「アスリートファースト」とは言えません。スポーツの大前提の安全を軽視しています。前回の東京大会は最もスポーツのしやすい10月10日を開会日に選んだのですが、それが本来の考え方のはずです。商業主義によって巨額のお金が動くからドーピング問題も起き、メダルのはく奪も後を絶ちません。スポーツの堕落ともいえる状況です。歴史を知れば楽しみ方も変わる─ぎすぎすしたスポーツの現状を変えていく手立てはありますか。服部 スポーツの歴史や豊かな文化的内容を理解し、楽しむ教育や啓蒙を進めることですね。例えば、「日本のサッカーはなぜフットボールと呼ばないのか」、「バドミントンとテニスは似ているが、なぜバドミントンは下からサーブを打つのか」、などのことは別に知らなくても簡単なルールさえ理解していれば「する」側も「観る」側も十分に楽しむことができます。しかし、こんな雑学的な発見を発端により深くスポーツを理解することができればより楽しむことができます。歴史的な内容も含め文化内容を「する」側、「観る」側、「支える」側が共有できる「場」を設けることが重要です。SNSの発達で簡単にそうした場を作れる時代です。人気選手や有名選手がSNSで発信することで、再開されたスポーツを見る目も変わってくるのではないですか。 サッカーの元日本代表の長友佑都選手は、今回の状況下で海外でもサッカーができない現状を受けて「サッカーは生きるためには必要ないことが分かりました。でも生活を豊かにするためには必要なものだということも分かりました」とコメントしていることが印象的でした。コロナ禍でスポーツを自粛しなければならない今、オリンピック・パラリンピック開催に向けたさまざまな取り組みの中で、本来のスポーツの意味(指導方法やスポーツの理解)が国民に広がっていけば、来年予定の東京オリンピック・パラリンピックが大きな意味を持つこと(レガシー)になるはずです。スポーツの部活動が中学生の生活に与える影響の研究を紹介するパネルの前で12August, 2020 | No.89 | FLOW服部先生のスポーツ雑学辞典①サッカーは日本でなぜフットボールと言わないか? 日本には最初にサッカーがヨーロッパ経由ではなく主に米国経由で紹介されたからです。ヨーロッパではフットボールと呼ばれますが、米国にはアメリカンフットボールがあったため、「フットボール」の別称「サッカー」を使ったのです。ちなみにサッカーの正式名称「association football(アソシエーションフットボール)」の、「association」の「soc(仲間)」に「c」を加え、人を意味する「er」をつけた造語「soccer」で、1880年代に使われ始めたといわれています。服部先生のスポーツ雑学辞典②バドミントンは似ているテニスと違ってなぜ下からサーブをするのか? バドミントンの起源は諸説ありますが、19世紀末に英国でルールが統一され発展しました。バドミントンは当初、2人がシャトルを打ち合うラリーをどれだけ多く続けられるかを楽しんでいました。今のようにコートに敵味方が分かれていたのではなく、味方同士で打ち合っていたのです。だからサーブもできるだけ平等に相手が打ち返しやすいように下から打ったのです。服部先生のスポーツ雑学辞典③サッカーの起源を知っていますか? 中世の英国で行われていた「ストリートフットボール」などと言われる一種のお祭りです。労働を終えた農民たちの楽しみでした。町の東西の入り口にゴールを設け、何日もかけて牛や豚の膀胱を膨らませたボールを蹴り合ったのです。殴る蹴るもOKの手荒い祭りで、大群衆が町中を走り回ったので「モブ(暴徒・群衆)・フットボール」とも言われました。

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