常翔学園FLOW88号
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発表」の情報ばかりに慣らされていた国民にとって、衝撃的な新情報だったことが想像されます。国策に沿った学科開設も 最初の科学戦と言われたのが第1次世界大戦(1914~18年)ですが、それ以降、戦争での科学者の役割が極めて重要になりました。化学が毒ガス兵器開発に、物理学が無線電信や潜水艦探知技術などに利用されたのをはじめ、戦車や戦闘機、飛行船、無煙火薬、機関銃などあらゆる軍事技術に科学者らは動員されたのです。当然、技術者の需要が一気に高まりました。 「支那事変(日中戦争)勃発とともに技術者の需要特に切なるに……」(1940〈昭和15〉年度の関西工業学校学友会誌)と書かれているように、学園設置の各学校では学級数を増やし、航空機械科や採鉱冶金科など軍の要請や国策に沿った新学科開設が相次ぎました=年表。航空機械科は軍用機製作に従事する技術者養成のためで、航空力学や航空機用材料学、航空発動機設計法などが教えられました。 学校での軍事教練が強化され、軍の将校が配属されました。校庭での分列行進や防空演習、野外教練、体験入隊などが盛んに行われていきました。学園生活に戦争の影が覆っていく様子は、毎年発行されていた関西工業学校の学友会誌の内容からも読み取れます。1935(昭和10)年の学友会誌には、軍人の講演記録などもありますが、生徒らの書いた随筆のテーマの多くは自然。「春の郊外」「海」「紀泉アルプス縦走登山」「初夏の淀川」などまだどこかのどかな誌面です。それが太平洋戦争の始まった1941(昭和16)年には誌名も「報国団誌」に改名され、生徒らの随筆にも「軍人勅諭を拝読して」「戦争と写真宣伝」「国難怖れじ」「大政翼賛と学生の本分」など戦争をテーマにするものが増えていきます。応召された教員の「戦線だより」、戦死した教員の追悼記事にも誌面が大きく割かれていきました。 マリヤナ時報号外に書かれたポツダム宣言を日本が受諾し8月15日の終戦を迎えると、軍需工場等へ学徒動員されていた生徒たちも学園へ戻ってきました。南方校舎は全焼、城北校舎は辛うじて本館の一部(1、2階)、2号館(現:1号館の場所)、機械実習実験室が焼け残りました。南方校舎の関西工業学校は、南方国民学校校舎を、1946年4月からは吹田第一国民学校校舎を借用して授業を続ける一方、城北校舎で焼け残った教室を当時の3つの学校(摂南工業専門学校、摂南工業学校、関西高等工学校)の生徒のため朝、昼、夜の三部制に分けるやり繰り授業で急場をしのぎました。残された学校管理記録によると、1946年10月の理事会で「大宮校舎の本館3、4階の復旧工事をH組と契約する」という項目があります。教室不足の解消には時間がかかったようです。 18June, 2020 | No.88 | FLOW常翔歴史館に史料のご提供を………………………………松浦清館長 “モノ”で歴史を語るのが常翔歴史館の使命です。そこで学園創立100周年に向けて大学・学校、ご自宅のどこかに眠る史料のご提供をお願いします。古いものを廃棄処分にしようという時も、安易に捨てないで一度それが史料にならないか考えてください。特に貴重なものでもなく、昔はありふれたものだったとしても貴重な歴史の“証人”になる場合があります。もし気になるものがあればぜひ常翔歴史館までご一報ください。☎ 06-6955-7762 e-mail:Rekishikan@josho.ac.jp〒535-8585 大阪市旭区大宮5丁目16-1学友会誌も「報国団誌」と改名された防毒マスクを着けて銃を構える関西工学校の生徒ら校庭での軍事教練【第1次世界大戦後の科学研究機関創設ラッシュ】 第1次世界大戦(1914~18年)での科学の力を目の当たりにした日本は、各種の科学研究機関を次々に創設していった。理化学研究所(17年)、海軍航空機試験所、大阪工業試験所(18年)、陸軍技術本部、陸軍科学研究所(19年)、燃料研究所、海洋気象台、高層気象台(20年)、東北大金属材料研究所(22年)、海軍技術研究所(23年)、東大地震研究所(25年)、京大化学研究所(26年)などだ。1938年には文部省の諮問機関の科学振興調査会が発足し、委員には陸軍次官や海軍次官らが含まれ、科学行政に軍の意向が強く反映されることになった。この調査会の答申で大学などでの理工系の拡大や研究施設の充実、研究費の増大が実施されていき、「科研費」として今も続く文部科学省科学研究費助成事業も創設された。1922年1927年1928年1929年1930年1931年1932年1933年1934年1936年1937年1938年1939年1940年1941年1942年1943年1944年1945年世界恐慌ロンドン海軍軍縮会議満州事変      上海事変5・15事件日本が国際連盟脱退2・26事件日中戦争国家総動員法東京五輪中止日独伊三国同盟太平洋戦争大学・高等学校・専門学校・実業専門学校の修業年限を臨時短縮学徒出陣学童疎開大阪大空襲、広島・長崎に原爆、終戦             ■学園の戦争関連年表関西工学専修学校開設関西高等工学校開設(夜間)関西工学専修学校を関西工学校に改称関西高等電機学校開設関西工業学校開設(甲種工業学校)関西高等電機学校を関西高等工学校に併合城北校舎第1期工事竣工(3階建て鉄筋校舎=旧1号館)出征教員が中国戦線で学園初の戦死関西工学校を第一関西工学校に改称。第二関西工学校を新設し、航空機械科を設置関西工業学校に採鉱冶金科を設置関西高等工業学校(大阪工大のルーツ)開設城北校舎に陸軍高射砲陣地、教員が相次ぎ応召関西高等工業学校を摂南高等工業学校に改称第二関西工学校を摂南重機工業学校に改組摂南高等工業学校を摂南工業専門学校に改称摂南重機工業学校を摂南工業学校に改称第一関西工学校と第二関西工学校を廃止空襲で南方校舎全焼、城北校舎も大きな被害*終戦時点の設置学校は摂南工業専門学校、摂南工業学校、 関西高等工学校、関西工業学校の4校02June, 2020 | No.88 | FLOW広島国際大学焼廣 益秀 ご入学おめでとうございます。入学に際して3つのことをお願いします。 1つ目として、社会的責任を考えて行動し、周囲の人々の命を守る行動ができる人間になってください。 2つ目として、さまざまな人との交流や連携を通して学んでください。学内外の活動に積極的に挑戦し、「協働力」を身につけてください。 3つ目として、一人で悩まず、小さくても良いので行動を起こしてください。まずは誰かに相談すること。それが第一歩です。 これらの行動を通して、皆さんの夢を明確にし、その実現に向けて前進してください。やけひろ・ますひで学長常翔学園中学校・高等学校北尾 元一 新入生の皆さんのご入学を心より歓迎します。 本校に入学したことに誇りと感謝を抱き、受け身にならず積極的に行動してください。 成功するのは高い向上心を持って、最後まであきらめずに取り組む人です。失敗を恐れず多くのことに挑戦し、いろいろなことを学んでください。挑戦することで必ず何かが得られるはずです。皆さんの可能性は無限です。本校で学び、体験するすべてのことは、将来「社会で生かせる力」をつけるためにあります。学校生活が充実したものになるよう行動することを期待しています。きたお・もとかず校長常翔啓光学園中学校・高等学校吉村 仁志 ご入学おめでとうございます。皆さんの夢と希望を実現するため、「将来に役立つ正しい知識を得ること」「健やかな心身を育むこと」「信頼できる友達や先生、先輩を見つけること」を大切にしてください。 本校では校訓をもとに考えた「K1GOALS」で学校教育の目標を明確に示し、それを実践することでSociety5.0とSDGsを意識した新時代に対応する教育改革を推し進めていきます。 「常翔啓光時代」が、かけがえのない人生経験となり「社会に貢献できる人間」になるための礎を築くことを願っています。よしむら・ひとし校長772人■ 中学校 146人 ■ 高校 626人432人■ 中学校 72人 ■ 高校 360人1054人■ 学部 1019人 ■ 大学院 28人■ 専攻科 7人

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