常翔学園 FLOW No.86
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れていませんでした。「1つの建物の構造計算に3週間くらいかかりました。それが1970年代にコンピューターが使われだして、3週間が1日でできるようになり、その後のハード、ソフトの進化で今では半日です。一部データの修正だけなら数秒でできてしまいます。煙草を吸う時間もないですね」と笑います。それでも「ざっとした数字の見積もりをするのに便利で、どこにでも持っていける本当に優れた道具でした」と計算尺への愛着を話します。しかし、今では教員の中にも計算尺を使いこなせる人はいませんし、スマートフォンに計算機能がついているのは当たり前の時代に、計算尺を見たことも触ったこともない学生がほとんどです。  常翔歴史館の入り口近くに、卒業生から寄贈された計算尺と製図道具が展示されています。今回はこの2つのモノから建築科の学生らの学びの風景の今昔を眺めます。 計算尺は、物差しのような目盛りがあり、加減算はできませんが複雑な乗除計算などを概算で行うことができる携帯用の計算用具で、17世紀に英国で発明されました。対数の原理を使うことで、大きな桁の掛け算を足し算に変換し、割り算を引き算に変換できるなど計算を手軽にできるのです。三角関数や平方根、立方根などの計算もできます。1970年代まで理工学系の設計計算や測量などに利用され、技術者の必需品でしたが、電卓の登場で一気に使われなくなってしまいました。今では生産されていません。構造計算にも活躍 コンピューターで駆逐 当然、昔の理系学生にとっても学習の必需品でした。大阪工大建築学科を1962年に卒業した伊藤孝さんは、卒業後に入社した(株)小河建築設計事務所で母校の旧4号館(1964年竣工)の構造設計と現場の設計監理を担当した一人です。建築学科の学生は、意匠(設計デザイン)か構造の道に分かれます。伊藤さんは構造を専門にしました。「建物など構造物がさまざまな荷重にどう変形しどんな応力(抵抗力)が発生するかを計算します。建物の設計条件が多いほど連立方程式も多くなり、楽に計算できる計算尺が欠かせませんでした」と振り返ります。伊藤さんが就職した当時、コンピューターは使わ 学園創立100周年に向けた連載企画の第3回は、学生の学びの風景の変遷に焦点を当てます。1922(大正11)年に設立された学園の起源の関西工学専修学校は、大阪の都市づくりを担う技術者養成が第一の目的だったこともあり、建築科と土木科の2科でスタートしました。学園の原点でもある建築教育ですが、その建築を学ぶ学生の学び方や学びの道具に当時と今では、当然大きな違いがあります。ただ一方で、100年近くたっても変わらない風景も残っています。19FLOW | No.86 | November, 2019姿を消していった計算尺と受け継がれる手描き設計演習常翔歴史館に展示されている計算尺(上)と製図道具学生時代のノートを見ながら当時の勉強の仕方について話す伊藤さん伊藤さんが愛用した計算尺「常翔年“モノ”語り」学園センテニアル企画centennial3【日本での計算尺導入の歴史】 1894(明治27)年にヨーロッパを視察した内務省の官僚らがドイツ製マンハイム型計算尺を持ち帰り紹介。1895年に測量計器の目盛り工だった逸見(へんみ)治郎がそのコピー製作を依頼され、研究開始。逸見は1909年に狂いの少ない竹製の計算尺を考案。第1次世界大戦で世界標準だったドイツ製の計算尺の生産が途絶えたことで、正確だと名声を博した日本製のヘンミ計算尺の輸出が急増。第2次世界大戦ではゼロ戦の設計、1958年完成の東京タワーの構造設計でも使われた。1965年には世界シェアが約80%に達した。戦後は全国の中学校や高校の多くに課外活動の「計算尺クラブ」があった。                    =ヘンミ計算尺株式会社のホームページなどを参照学びの風景の今昔■英文がびっしり 手書きの大学ノート 伊藤さんに寄贈していただいた学生時代の勉強ノート=写真=2冊です。「Osaka Institute of Technology」の字と校章の入った特製大学ノートで、中身はすべてびっしりと万年筆で書かれた英語。細かな図もフリーハンドで美しく描かれています。「構造力学の専門書を夏休みに筆写しました。コピー機なんてなかったですから」と伊藤さんは話しますが、手書きなのにほとんど書き間違いがないのは、驚くべき集中力です。今では考えられない勉強の仕方かもしれませんが、ノートのページからは新しいことを学ぼうとする熱意が今でも伝わってきます。03FLOW | No.86 | November, 2019摂南大の新学長としての抱負を─ 大学教育の「質の保証」が求められる中で、本学は開学以来、実践的教育や少人数ゼミを続けるとともに、近年は学部の垣根を越えたソーシャル・イノベーション副専攻課程やPBL(プロジェクト体験型学習)などの全学教育を通じて主体的な学びの場を提供しています。今後はこの全学教育を更に進めて、 ①1年次から短期留学で海外体験でき国際市民感覚を身につける「グローバル・シチズンシップ副専攻課程」の設置 ②リベラル・アーツを上位年次でも学べる教養教育の強化 ③入学者の多様性に対応した初年次教育の開発などを推進します。更に学修成果を可視化(数値化)し、社会にアピールする教育力のブランド化に活用します。今後、1万人規模の大規模大学に仲間入りし、さまざまな色や輝きを付けて社会にアピールし、世界に誇れる大学を目指します。教職員に期待することは─ 第1に学生とともに成長し続ける教職員であってほしいです。成長するために教育、研究、大学運営に関する自己研鑽を欠かさないでください。一人一人の成長なくして組織の成長はありません。第2に期待することは、「変わることを恐れない」ということです。選ばれる大学、発展する大学の条件の1つに、「社会状況やステークホルダーのニーズの変化に俊敏に適応できること」があると考えます。摂南大の最大の魅力は─ 学生と教職員の距離感が近いこと、元気で活動的な学生、教員と職員のチームワークの良さなどが挙げられます。35年前に大学院を出たばかりの助手だった私に、職員の人たちが庶務、教務、会計のことを温かく指導してくれたことが忘れられません。教員、職員、学生の関係の温かさは本学の大きな魅力です。教育の面では、学部横断的な教育プログラムなどで「主体的・対話的・深い学びの場」を実現していることが、卒業時の学生の満足度の高さに表れています。アクティブ・ラーニングの実践力がある教員も多いです。これらが「就職に強い大学」ランキングの上位に位置していることにつながっています。来年度に誕生する農学部への期待と、開学50周年(2025年)に向けた取り組みは─ 国連が持続可能な開発のために掲げた国際社会の共通目標であるSDGsは、「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」など17の目標を掲げていますが、その多くの目標達成が農学部のミッションです。気候変動、食糧危機、人口爆発、超高齢化社会など、人類の存続のために必要なあらゆる分野をカバーする学問です。農学部に着任予定の60数人の教員の多くは、産学公民連携の実績があります。既に地域の多くの自治体や企業からさまざまな課題解決への連携の要請があり、農学部への期待の大きさを感じています。その期待に応えるために、IoTやロボットの農業生産への応用で理工学部や大阪工大と、予防医学で薬学部と看護学部と、それぞれ連携を推進します。また産学公民連携の推進拠点となる「先端農学研究所(仮称)」を設立します。 開学50周年に向けては、「選ばれる大学」となる基盤を構築します。①時代や社会の要請に応える既存学部・学科改組や新学部設置 ②寝屋川キャンパス3、4号館の建て替えを含めたキャンパス整備を更に進めていきます。摂南大学 学長荻田 喜代一おぎた・きよかず ■11代学長(新任)。1977年近畿大学薬学部卒業。1979年長崎大学大学院薬学研究科製薬化学専攻修士課程修了。1983年大阪市立大学大学院医学研究科生理系専攻博士課程修了。1984年摂南大学助手に。講師、助教授を経て2004年教授。薬学部長、大学院薬学研究科長、副学長を歴任。医学博士(大阪市立大学)。大阪府出身。64歳。大きな期待集める農学部時代に合った新学部・学科も検討変化を恐れず、選ばれる大学に学長のお薦め本AI vs. 教科書が読めない子どもたち』新井紀子著(東洋経済新報社) どんな新しい教育手法も読み書きの基本ができていないと無意味です。この本を読んで自分が日ごろ学生と接して気に掛かっていたことが何か腑に落ちました。今、学生が自ら本を読んで、要約するアクティブ・ラーニングも始めています。Pickup My favorite Book

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