子育てを仕事のプラスの力に両立する姿を後輩たちに示したい 保険営業の第一線に立ちながら後輩を指導するオフィストレーナーの顔と、幼い2人の子供を育てる母親の顔を持つ塩飽麻衣さん。広島国際大心理科学部コミュニケーション学科(現:心理学部心理学科)で出会った恩師から学んだコミュニケーションの極意だけでなく、育児の経験も仕事に見事に生かして輝きを放っています。 生命保険会社の営業チーム8人を束ねるオフィストレーナーとして活躍する塩飽さんですが、1年目は営業成績が全く上がりませんでした。どれだけ営業回りをしてもなかなか契約に結び付かず、上司が「辞めるのでは」と心配するほどでした。しかし、「コツコツやり続ければ実になる」「一つ一つの営業のプロセスをできるようになることが近道」などの上司の助言を忠実に実行。いつしか優秀な成績が全国で表彰されるまでになりました。頑張れた原点には、広島国際大での恩師の教えもありました。 就職に直結するビジネス・コミュニケーションが学べると聞き、進学した塩飽さんが感銘を受けたのは、久次弘子教授の授業でした。テレビ局のアナウンサーや司会業など、人前に立つ仕事の第一線で活躍してきた久次教授の教えはどれも的確。「会話のときは口角を思っているよりも3割以上上げて」「落ち込んだ気持ちのまま人に話し掛けてはいけない」など、円滑なコミュニケーションを図るための基礎知識を徹底指導してくれました。教授の勧めで学生時代に購入した書籍を今でも活用しています。 コミュニケーションを生かせそうな仕事ならどんな業界でも見ようと、50社から話を聞いたという就職活動も、「就活の時が一番多くの企業を見られます」というアドバイスからでした。就職の決め手は、職場見学の際に社内の雰囲気がアットホームで、女性が輝ける職場だと感じたからです。 オフィストレーナーとして3年目を迎えた塩飽さんは、入社1年目~5年目のチームメンバーの営業に同行しながら、時に見守り、時に指導する日々を送っています。1から10まで指導するのではなく、その人の良い部分は尊重して、改善点はなるべく自分で気付いてもらえるような指導を心掛けています。 プライベートでは、4歳の男の子ともうすぐ1歳の女の子を育てるお母さん。今年の4月まで育児休暇を取って、子育てに専念していました。「目先のことだけを見ないようにするなど、メンバーへの指導にも子育てが生きています」と笑います。営業先で子供の話で盛り上がったり、オンとオフの切り替えができるようになったり、子育てが仕事にプラスの力になっていると実感しています。「ママさんだらけ」の職場で、理解のある同僚の存在や働く女性をサポートする会社の制度も支えになっています。「自分の働く姿を通して、仕事と育児は両立できるということを、後輩たちに伝えていきたいです」と話します。 塩飽さんは多くの企業を見てから就職先を選びました。それが今の仕事をこれからも続けていける自信につながっています。「就職先は真剣に考えて決めてほしい。一つのことをずっと続けるのって、とてもやりがいのあることです」。納得のいく企業や仕事に巡り合えた塩飽さんから後輩への頼もしいメッセージです。塩飽 麻衣 さん第一生命保険西日本営業本部 広島コンサルティング営業室 広島第三オフィス オフィストレーナー■ しわく・まい 2010年広島国際大学心理科学部コミュニケーション学科(現:心理学部心理学科)卒。同年第一生命保険入社。2015年から現職。大学在学中は軽音楽部に所属しヴォーカルや裏方を担当。広島県出身。後輩を指導する塩飽さん03FLOW | No.85 | August, 2019の自由を求める運動、労働運動、男女平等や部落差別解放を求める運動が展開しました。現在の私たちにも身近な多くの文化、芸術や芸能、スポーツ、会社や製品も生まれました。第1次世界大戦終結の1918年から学園創立の翌年1923年までの内外の主な出来事を年表で追ってみると、まさに明と暗が入り乱れ、社会が大きく動き始めた時代だったということが分かります。■時代状況大正デモクラシーの高揚とファシズムの影 今回手掛かりとなるモノは、大阪市の古い2枚の都市計画図です。それを詳しく見る前に当時の時代状況を概観します。 大正末期の1922年。前後の年表を眺めると、その姿が浮き彫りになってきます。 明治維新後、日清戦争(1894~95年)と日露戦争(1904~05年)の勝利を経て西欧列強の仲間入りを果たした日本でしたが、日清戦争と違い日露戦争ではロシアからは賠償金を取れず、莫大な戦費の後遺症で長い不景気に苦しみました。そこにヨーロッパで第1次世界大戦が勃発(1914年)すると、一気に大戦景気に沸き、アジア諸国への輸出が急増。日本は一気に債務国から債権国に転じました。なかでもアジアにも近い大阪は、繊維、化学、造船などの工業化が進み、「東洋のマンチェスター」として成長。多くの労働者が流入し、人口も東京を抜き日本一になり「大大阪」時代を迎えます。ところが1918年に第1次世界大戦が終結し、ヨーロッパ各国が市場に戻り始めると輸出が一転不振となり、余剰生産物が大量に発生して景気が再び下降していきました。1919年以降は輸入超過となり、1920年3月に「戦後恐慌」を迎えます。株価が大暴落し、4月から7月にかけて銀行の取り付け騒ぎが続出。21の銀行が休業に追い込まれます。1921年には原敬首相が暗殺され、ドイツではヒトラーがナチス党首になるなど社会を覆う暗い影が濃くなっていきました。一方で、経済の急速な発展や近代化で一度目覚めた自由主義や民主主義の思潮、市民文化や大衆文化の流れは止まりませんでした。いわゆる「大正デモクラシー」です。普通選挙や言論・結社 2022年の学園創立100周年に向けた連載企画の第2回は、学園の起源の関西工学専修学校が設立された1922年(大正11年)がどんな年で、どんな時代だったのかを振り返ります。大正デモクラシーが進み、急成長する大阪市では大衆文化が花開き活気に満ちた時代ですが、その一方で第1次世界大戦終結とともに大戦景気が去り、再び不景気が到来。ヨーロッパではファシズムが台頭し始めていました。未来への希望と不安が錯綜し、激動し始めた時代の真っただ中に常翔学園は産声を上げたのです。23FLOW|No.85|August, 2019都市整備が進み急成長する大阪希望と不安の時代に学園が産声道路計画が目立つ1919年の「大阪市区改正設計図」(部分)工業化で工場の煙突が林立し「煙の都」とも言われた1925年ころの大阪「常翔年“モノ”語り」学園センテニアル企画centennial2学園誕生の「1922年」とは?米騒動、第1次世界大戦終結、第1回日本フットボール(サッカーとラグビー)大会、「大阪市中央公会堂」完成、宝塚音楽歌劇学校設立選挙法改正 、都市計画法公布、ムッソリーニが右翼団体(後のファシスト党)結成、「カルピス」発売、「キネマ旬報」創刊国際連盟成立、戦後恐慌、日本初のメーデー、幅員44mの「御堂筋」が大阪市区改正設計で告示、慶應義塾・早稲田・中央・明治・法政など私立大学設立認可、「松竹蒲田撮影所」設立、読売新聞が記事文体を口語体に、関西で新国劇のチャンバラブーム、阪急梅田駅に日本初のターミナルデパート白木屋が誕生原敬首相暗殺事件、史上初の軍縮会議「ワシントン会議」開催、ヒトラーがナチス党首に、中国共産党創立大会、「メートル法」公布ソビエト連邦成立、日本共産党結成、日本初の旅客飛行(岐阜~東京)、アインシュタイン来日、「週刊朝日」「サンデー毎日」創刊、「江崎グリコ」創業、「資生堂」が美容講習会、寿屋(現:サントリー)が日本初のヌード広告「赤玉ポートワイン」関東大震災、「文藝春秋」創刊、日本初の吹き出しを用いた4コマ漫画「正チャンの冒険」連載、「帝国ホテル」(旧館)落成、「丸ビル」完成、ウォルト・ディズニー社創立1918年1919年1920年1921年1922年1923年さく そう
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