常翔学園 FLOW No.84
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戸惑い、自己嫌悪に陥る看護師も 今年1月に千葉県野田市で栗原心愛ちゃんが父親からの暴力で死亡したとされる事件が大きく報道されましたが、近年児童虐待のニュースが後を絶ちません。世論に動かされて政府も3月に親による体罰禁止を明記した児童虐待防止法改正案を閣議決定しました。ニュースでは児童相談所や警察の対応に焦点が当たりがちですが、看護師など医療関係者も児童虐待と最初に向き合う人たちです。被虐待児童をケアするだけでなく、加害者である親たちのサポートもしなければならない難しい仕事です。摂南大看護学部長の鎌田佳奈美教授は小児看護の専門家で、看護師向けの児童虐待対応のガイドライン作成や虐待予防・早期発見・対応プログラムの開発などにも携わってきました。鎌田教授に児童虐待の実態や看護師の役割、今後の課題などについて聞きました。間引き、捨て子…昔からあった虐待 確かに近年、児童虐待件数が増加しているように見えますし、それを示す各種のデータ=*注=も出ています。核家族化の進展などで親が孤立化しやすいなどの要因も指摘されています。しかし、児童虐待は昔から存在しました。「子殺し」、「間引き」、「捨て子」などの言葉があり、子どもを働かせること(児童労働)が当たり前のような時代がありました。これらはすべて現在では児童虐待と言われます。「子どもは親の所有物、従属物」という考えが許される時代が長く続いたのです。最初に児童虐待として注目されるようになったのは1960年代の米国でした。子どもの不自然な外傷にヘンリー・ケンプという医師が気づき、声を上げたのです。日本で注目され始めたのは厚生労働省が全国の児童相談所を通じて初めて児童虐待の統計を取り始めた1990年ごろからです。私自身は看護師として小児病棟に勤務し始めたのが1984年で、当時は児童虐待という言葉すら知りませんでした。1990年代後半から大阪での事例検討会などで虐待児童の特徴などの勉強を始めると、「あの子も虐待されていたのでは」と入院児童について後から気づかされることが出てきました。 2000年に成立した児童虐待防止法では児童虐待を、①身体的虐待 ②性的虐待 ③ネグレクト ④心理的虐待、の4つと定義しています。近年の虐待件数の増加は、児童虐待への認識が高まったことや、子どもの前で夫婦同士で暴力を振るったりする「面前DV」が心理的虐待とされるようになったことも大きな理由の1つです。ケアする看護師をサポート児童虐待への認識は高まっていったのですが、現場の看護師たちの虐待に向き合う困難も増えてきました。2011年に看護師たちがどんな困難を抱えているかの調査をしたところ、小児病棟の看護師でさえ多くが戸惑いを感じていることが分かりました=グラフ。医療従事者に拒否的な親、攻撃的な親、暴力的だったり逆にべた児童虐待と向き合う看護子どもの命を優先しながら親のサポートも摂南大学 看護学部看護学科鎌田 佳奈美 教授かまた・かなみ ■1984年大阪大学医療技術短期大学部看護学科卒。同年近畿大学医学部附属病院小児科病棟看護師に。1989年千葉大学看護実践研修センター教員養成課程修了。2005年滋賀医科大学大学院医学系研究科看護学専攻修士課程修了。2016年武庫川女子大学大学院臨床教育学研究科臨床教育学専攻博士後期課程修了。大阪大学医学部保健学科助手、大阪府立大学看護学部准教授、同大学院看護学研究科准教授などを経て、2012年摂南大学看護学部看護学科教授。同学科長を経て、2018年から同学部長兼大学院看護学研究科長、地域医療研究センター長。日本小児看護学会、日本子ども虐待防止学会などに所属。博士(臨床教育学)。大阪府出身。ニューウェーブ教育・研究*注:2017年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待の相談件数は前年度比9.1%増の13万3778件で過去最多(厚生労働省調べ)。2018年の児童虐待事件の摘発は1380件、被害に遭った18歳未満の子どもは1394人で、いずれも過去最多(警察庁調べ)み あ07FLOW | No.84 | May, 201966.0% 30.0% 0.4% 1.8% 1.8% 非常にある ある あまりない わからない 無回答 子ども虐待対応への看護師の困難感●子どもの言動の理解  ●子どもとの信頼関係の形成  ●深刻な心身の傷を抱える   子どもとの関わり など ●親との信頼関係の形成  ●拒否的な親との距離感  ●家族への具体的な介入方法 など ●不十分な連携・協力  ●見解・対応の隔たり など 全国500床以上の病院と小児専門病院の看護師729人を対象にした調査(2011)【子どもとの関わり】【親との関わり】【関係機関との関わり】page28キラリ*Josho note 原点はアタリのワクワク感船舶免許も取得し準備着々 父に連れられて3歳で釣りを始めた尾後さん。竿にアタリが来る時のワクワク感が釣りに魅せられた原点と言います。中学生になると一人で近くの池へブラックバス釣りに出掛けるようになり、ますます釣りの道にはまっていきました。気が付くと地元でも有名な釣り少年になり、大阪城の堀でアリゲーターガーを釣り上げる番組など何度もメディアに登場。高校時代は竿をラケットに持ち替え、ソフトテニス部で大阪府代表として近畿大会に出場するまで活躍しましたが、摂南大経営学科に入学後は再び釣り三昧の日々に。「夜中にアルバイトが終わっても、その日の風や潮を見て釣り場へ走って行くこともあります。今は頭の中は釣りでいっぱいです」と声を弾ませます。 2月に日本最西端の与那国島(沖縄県)で全長2m、重さ100kgのクロカジキを釣り上げた時は、「興奮して号泣しました」と振り返ります。船を出しても大荒れの海で2日間成果が出ず、ようやく3日目に獲物を捕らえ、「チームのために何とか頑張って釣りたい」一心で船酔いに苦しみながら海と格闘。「船長やサポートしてくれた釣り仲間に応えることができました」と周囲への感謝を口にします。「次は大間(青森県)でクロマグロの一本釣りにチャレンジしたいです」と新たな目標を定めています。大物獲りの醍醐味の一方で、尾後さんは「気象条件やエサなどを頭に入れて、ポイントを決める面白さが釣果より奥深いと最近は思うようになりました」と釣り哲学を語ります。摂南大学 経営学科3年尾後 幹太 さんおご・かんた釣りビジネス起業の夢へまっしぐら  卒業後に釣りビジネスを起業するために、これまで学んだ経営の授業の教科書も引っ張り出して日々勉強にも励んでいます。中学生で既に釣り専門紙に釣果レポートを連載するほどの腕前で、現在は釣りメーカーと契約を交わして商品開発、販促の協力を行うテスターも務めます。釣り道具の展示会などでトークショーを行う際の話し方のコツも身につけたいと、ゼミでプレゼンテーション能力向上の練習も欠かしません。船舶免許も取得し「将来は遊漁船の船長になって、より多くの人に釣りを楽しんでもらいたいです」と話す尾後さん。若くして釣り業界の未来までも見据える釣り師魂がキラリ光ります。与那国島で釣り上げたクロカジキを抱える尾後さん釣りのトークショーで話す尾後さん(左から2人目)15FLOW | No.84 | May, 2019

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