常翔学園 FLOW No.83
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実態はまだまだですが、男女雇用機会均等法もできて女性が働く環境は着実に前進しています。決して後退はしていません。田尾 これまでで思い出深い取材や記事を教えてください。小笠原 日本の女性で初めてオリンピックに出場して陸上800mで銀メダルを取った人見絹枝さん(1907~31年)という女性アスリートがいました。これまで日本がオリンピックの陸上競技のトラック種目で取ったメダルはその銀メダルが最高です。男子の400mリレーでも銀メダルを取りましたが、1人で取ったのはいまだに人見さんだけです。私が岡山支局に赴任した時、ちょうど岡山出身の人見さんの生誕100年で連載記事を書いたのです。とても楽しい取材で、自分でも忘れられない記事です。実は人見さんは大阪毎日新聞社の記者でもあり、オリンピックに出ながら自らアムステルダムから記事も書いていました。私の大先輩です。経済記者として取材した経済人で印象深いのは関西電力の元社長・会長の芦原義重さん(1901~2003年)と京セラを創業した稲盛和夫さん(1932年~)です。お二人とも眼光が鋭く、昔は若手記者には怖かったですね。田地 取材でいつも心掛けていたことはありますか?小笠原 相手の言うことを正しく伝える、ということです。ただし、ある意図を持って発言する人もいますから、それを見抜くためには事前に勉強をしておくことが必要です。また、新聞は一方的な主張だけを書くことはせず、必ず別の見方の人のコメントも取ります。裁判では訴えた側も訴えられた側も取材します。要するに偏らないということです。上田 「キャンパる」面の記事を書くと、添削される部分がまだまだ多いです。興味のない人にも記事を読ませる勉強法や工夫を教えてください。小笠原 記事を書くための最良の教科書は新聞です。大学生が新聞を読まなくなっていますが、たくさん読んでください。私も新人記者の時は先輩の記事をスクラップして「こう書けば読者に伝わるんだ」と勉強しました。読者を引きつける書き方の一つが一番面白い部分、つまり見出しどころを前文にして、頭の部分で示すことです。上田 最近、気になったニュースは何ですか?小笠原 学校に虐待のSOSを出したのに亡くなってしまった栗原心愛(みあ)さんの事件のニュースです。この種の事件が最近多いことに心が痛みます。私自身がこれまで最もつらかった取材は1995年の阪神・淡路大震災の取材でした。東日本大震災の発生時は大阪経済部長で、その後すぐに京都支局長になりましたが、若い記者たちに現場を見てほしくて進んで東北に応援に行かせました。つらい現場でも自分の足で行き、自分の目で見ることが記者には一番大事だからです。 上の立場だからこそ面白い仕事も田地 女性リーダーとしてキャリアを積む中で、どんなことに注意してこられましたか?小笠原 記者からデスクになったのが最初のリーダー的な仕事でした。複数の記者を必ず公平に見ることを心掛けました。それとその記者の良いところを伸ばすように心掛けました。私が書いた方が早いと思ってもあえて失敗させながら自分で書かせたこともありました。記者という仕事は面白く達成感も大きいのですが、上の立上田 佳奈さん 小笠原さんはさっぱりした印象の方で、お話がとても分かりやすかったです。私は高校時代には陸上選手(幅跳びと短距離)でしたが、同級生の野球部員たちが目指していた聖地の凄さを実感できたことも良かったです。田尾 愛梨さん 野球経験者なので甲子園では思わずマウンドに上がりたくなりました。女子の甲子園大会があればきっと目指していたと思います。小笠原さんの「人間の心は簡単には折れない」という言葉が印象的で励まされました。甲子園見学とインタビューを終えて13FLOW | No.83 | March, 2019

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