胃ろうの高齢者や胃切除の患者にもこの方法で当初の餡を効率よく作るという目的は達成されたのですが、いろんな食材で試しているうちに「これは介護食に使えるのでは」とひらめきました。ニンジンやタケノコなどの硬い食材も、見た目は変わらないのにスプーンで押すとグニャと潰れます。一方で味や色や栄養素はそのままという特長もあったからです。当時、介護食と言えば誤嚥を防ぐ安全面から流動食や刻み食、ゼリー食ばかりで、要介護者の食事のQOL(生活の質)は不十分でした。見た目も味も栄養も健常者と同じメニューの食事ができれば高齢者や入院患者らの食欲も違ってくるはずと考えました。広島県内の社会福祉法人の協力を得て、施設で入所する高齢者らに凍結含浸法で調理した食事をしてもらいました。すると口から食事ができず胃ろうの状態だったおじいさんも、自分から「食べたい」と言い出し、食べることができてその後胃ろうを脱することができたのです。家族もとても喜んでくれたのがうれしかったです。食べやすいだけでなく、栄養やカロリーも十分に摂れるというメリットもあり、介護食を劇的に変える「使える技術」と確信しました。まさに「食のバリアフリー化」です。更に県立広島病院との共同プロジェクトを立ち上げて、400人近い術後患者に食べてもらい、安全面の検証も行いました。凍結含浸法では酵素だけでなく血管造影剤も食材に浸透させることができるので、患者が食べて安全に嚥下される様子をX線撮影で確かめられ、「ヨーグルトが食べられる患者なら問題ない」との結果を得ました。病院で手術後の食事は伝統的におかゆなのですが、それでは栄養が足りずに栄養剤で補助するのが現実です。通常の食事ができれば栄養剤は不要で、病後の回復も早まります。医師の提案で胃がん手術で胃の一部を切除したばかりの患者に凍結含浸法で軟らかくしたステーキを提供すると、難なく食べられたのには驚きました。特許許諾の申し出が殺到論文発表し15本の関連特許を取ると、凍結含浸法の特許許諾の申し出が食品企業大手だけでなく主要商社など国内外の約60社から殺到しました。凍結含浸法では酵素だけでなく、調味料やさまざまな栄養素も浸透させられるので、介護食以外に栄養強化食品や機能性付加食品、新食感食品など応用範囲も広いのです。例えば、大豆内部に高血圧を抑制するペプチドを生成させるプロテアーゼを浸透させて抗高血圧ペプチド含有大豆、リラックス効果で知られるGABA(γ-アミノ酸)を高含有する食品などを作ることも可能です。既にこの特許を使ったさまざまな企業による商品化も進んでいます。私が近年力を入れて取り組んできたのは、防災・備蓄用介護食と自宅で簡単にできる新たな凍結含浸法の開発で、二つとも成果が出てきました。東日本大震災(2011年)の被災者から「震災で介護食の確保に困った」という相談を受けて企業と開発したのが、凍結含浸法による介護食の備蓄用缶詰です。そもそも軟らかいので輸送時に形が崩れないようにするのが難しかったのですが、2年前に筑前煮やカレーなどの缶詰の商品化にこぎつけました。また家庭で簡単にできる凍結含浸法も専用の酵素液の開発で実現しました。冷蔵庫さえあれば減圧装置などがなくてもできる簡易な方法です。これまでの圧力を利用するものではなく、拡散原理(液体中では濃いものから薄いものに物質が移動し混ざる)を使います。食材を凍結し専用酵素液の中で解凍すると急速に食材に酵素が浸透するのです。今はこの新凍結含浸法の特許を取ることと、この方法で軟化させられる食材の検証を進めています。在宅介護が今後進んでいくことを考えると、介護者の負担軽減のためにも大きな力になるはずです。家庭や介護施設にこの新凍結含浸法を普及させようと本格的に取り組もうとしています。*注1【安藤百福賞】 新しい食品の開発や食科学の振興に貢献する独創的な基礎研究、食品開発などを対象とした賞。チキンラーメンを開発した日清食品創業者の安藤百福の名を冠した同賞は、「人類生存の根源は食にある」という安藤の思いを広く世に伝えるために1996年に創設。*注2【酵素】 生体内の化学反応を触媒するたんぱく質。消化・吸収・分布・代謝・排泄など生体が物質を変化させるのに欠かせない。反応の種類に応じて特異的な酵素が存在し、化学的な触媒に比べて温和な条件下で強い効果を発揮する。開発した介護食の備蓄用缶詰ご えんえん げ12January, 2019 | No.82 | FLOW凍結含浸法による軟化調理の実際減圧を利用して酵素を含浸空気 酵素 細胞 外皮 空気と酵素を置換 減圧状態 解凍食材 真空ポンプ 酵素液
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