常翔学園 FLOW No.81
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英国に根強い欧州懐疑派現在の最大の危機は英国のEU離脱ですが、かつてチャーチル首相が外交の優先順位として「1=英連邦、2=英米関係、3=欧州大陸との関係」という“3つの輪”ドクトリンを掲げたように、もともと英国にはEUに距離を置く姿勢がありました。更に効率重視の社会タイプは、公平性重視の他の欧州諸国とも異質です。「選挙で選んだわけでもないブリュッセル(EU本部)の官僚に主権を侵され支配されている」という欧州懐疑派の声が大きくなってきたうえに、ポーランドなどEU圏内からの移民が急増し、労働者階級などに「仕事を奪われ福祉の分け前が削られる」という不満が増大したのです。そんな状況の中、離脱派による「ポスト・トゥルース(脱真実)※1」の根拠の薄いプロパガンダも重なって国民投票で僅差(51.9対48.1)でEU離脱が決まったのです。来年の離脱期限(2019年3月29日)に向け離脱協定の交渉が進められてきましたが今月13日、ようやく事務レベルで協定草案に暫定合意しました。妥協点が見つかる「soft Brexit」になるか全く何も決められず離脱する「hardBrexit」になるか、お互いの狙いを探り合うチキンレースの末の合意です。英国側は単一市場と関税同盟の恩恵をできるだけ維持したいし、紛争(※2)の記憶がまだ生々しい英領北アイルランドとEU加盟国アイルランドの間に再び厳格な国境管理を復活するのかも悩ましい問題でしたが、北アイルランド問題を回避するために英国全体でEUとの関税同盟を継続するという案のようです。ただこの案で英国議会から同意を得られて最終合意するかは予断を許しません。EU側は離脱が他加盟国に波及するのを防ぐため厳しい態度で臨んでいますが、やはり離脱リスクは英国の方が大きいと考えられます。EUが既に50カ国以上と結んでいる貿易協定から離れることになり、一大金融拠点のロンドンのシティーを含め英国経済の地位低下は避けられません。対応急ぐ1000社の日系企業英国は英語が使える便利さもあって1000社近い日系企業が拠点を構えています。もし妥協点がないまま英国がEU離脱すると、英国内の工場からの製品には関税がかけられますし、銀行免許などさまざまな事業の許認可も取り直す必要があり膨大な手間が掛かります。hardBrexitになる最悪の事態も考慮して対応策を急いでいます。英国が離脱すればEUが崩壊するのでは、という懸念も聞かれます。私はEUが存続するメリットはまだまだ大きく、そんなことにはならないと考えます。まずEUとの離脱交渉に苦労する英国を見て、「あんなに大変なことなのか」と他の加盟国の離脱派の腰が引けてきています。また何よりEUには米国にない文化的なソフト・パワーやノーマティブ・パワー(規範力)があります。加盟国が28カ国というメリットは大きく、会計基準や工業製品から医療、農業などあらゆる分野の国家間共通の標準規格を提供するISO、その他のさまざまな政策でグローバル・スタンダードを生み出しているのがEU、あるいはEU加盟国のノーマティブ・パワーです。今後のEUの将来のシナリオはいくつか考えられますが、私が一番可能性が大きいと考えるのは、個々の国家ではできないことだけEUでカバーするという「補完性原理」を進め、これまでよりEUの政策領域を縮小し効率化する方向です。EU内の国民国家の復権とも言えます。1930年代に似たリーダーシップ空白の危うさ米国のトランプ大統領が今年9月の国連総会の場で「グローバリズムを拒絶する」と表明しました。アメリカ・ファーストで、関税を引き上げ貿易戦争を仕掛けています。米国、英国の保護主義、自国主義への回帰は世界大戦に突入していった1930年代に似ています。保護主義で貿易量がどんどん縮小し、失業者が増える経済の悪循環が生まれ、国際的なリーダーシップを担う国も不在でした。現在の世界も「Gゼロ時代」と言われ、まさにリーダーシップの空白が生まれている状況に経済学者として危機感を覚えます。※1 : オックスフォード英語辞典が選んだ2016年を象徴するワード・オブ・ザ・イヤー※2 : 英国からの分離とアイルランドへの併合を求める少数派カトリック系住民と、英国統治を望む多数派プロテスタント   系住民が対立。1960年代後半に始まったテロなどの犠牲者は3200人を超えた。98年に包括和平合意が成立丸紅社員時代の久保教授=1979年6月・デンマーク・コペンハーゲン郊外のクロンボール城で1997年1999年2002年2004年2005年2007年2009年2012年2013年2014年2015年2016年2018年2019年アムステルダム条約調印。シェンゲン協定を欧州連合の法として取り入れた欧州単一通貨ユーロ導入。アムステルダム条約発効ユーロ紙幣・硬貨の流通開始(英国、スウェーデン、デンマークを除く12カ国)10カ国(ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、エストニア、リトアニア、ラトビア、マルタ、キプロス)がEU加盟。加盟25カ国が欧州憲法に調印フランスとオランダで国民投票により欧州憲法の批准拒否。欧州憲法は発効せずブルガリア、ルーマニアがEU加盟欧州憲法に代わるリスボン条約(改革条約)に首脳らが調印リスボン条約発効EUがノーベル平和賞受賞クロアチアがEUに加盟し、28カ国体制に英国で実施された欧州議会選で、移民規制やEU離脱を訴えるイギリス独立党がトップ得票中東、アフリカから100万人を超える難民が欧州諸国に殺到国民投票で英国のEU離脱決定メイ英首相がEU離脱のチェッカーズ案3月29日に英国がEU離脱予定1952年1958年1967年1973年1979年1981年1985年 1986年1989年1990年1992年1993年1995年フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国が欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を設立欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(EURATOM)設立ECSC、EEC、EURATOMの3機関が統合され、欧州共同体(EC)誕生英国、デンマーク、アイルランドがEC加盟欧州通貨間の為替変動の安定化を目指す欧州通貨制度(EMS)発足ギリシャがEC加盟ベルギー、フランス、ルクセンブルク、オランダ、西ドイツの5カ国がシェンゲン協定に署名。協定参加国の間での国境検査を撤廃することを規定 スペイン、ポルトガルがECに加盟し、12カ国体制に東西冷戦終結イギリスが欧州為替相場メカニズム(ERM)に加入マーストリヒト条約(欧州連合条約)調印ポンド危機でイギリスが欧州為替相場メカニズム(ERM)から脱退マーストリヒト条約が発効。欧州連合(EU)が12カ国で発足オーストリア、スウェーデン、フィンランドがEU加盟EU関連年表04November, 2018 | No.81 | FLOW図1=外務省ホームページから作成 2004年までのEU加盟国(15カ国) 加盟候補国(5カ国) 潜在的加盟候補国(2カ国) フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク(以上1958年からの原加盟国)、英国、アイルランド、デンマーク(以上1973年加盟)、ギリシャ(1981年加盟)、スペイン、ポルトガル(以上1986年加盟)、オーストリア、スウェーデン、フィンランド(以上1995年加盟) 2004年5月1日加盟国(10カ国) エストニア、ポーランド、チェコ、スロベニア、ハンガリー、キプロス、ラトビア、リトアニア、スロバキア、マルタ 2007年1月1日加盟国(2カ国) ブルガリア、ルーマニア トルコ、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、アルバニア ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ2013年7月1日加盟国(1カ国) クロアチア【計28カ国】 EUの概要アイルランドベルギールクセンブルクアイスランド ポルトガルスペインフランスマルタボスニア・ヘルツェゴビナ英国リトアニアラトビアエストニア フィンランドスウェーデン オランダデンマークチェコ ポーランドドイツルーマニアスロベニアハンガリーオーストリアクロアチアセルビアイタリアギリシャ トルコキプロスアルバニアモンテネグロコソボマケドニアスロバキアブルガリア

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