活躍する卒業生:学校紹介

住みたいと思われる街づくりを目指して

枚方市副市長   奥野 章   さん

奥野 章 さん:枚方市副市長

PROFILE
1967年3月啓光学園高(現常翔啓光学園高)卒。1972年3月桃山学院大社会学部卒。同年4月から枚方市に奉職。福祉、市長秘書、子育て支援などの業務を歴任し、2007年から現職。大阪府出身。

充実した教育機関や医療機関との連携により、「教育文化都市」「健康医療都市」の都市ブランドを掲げる枚方市。2007年に副市長の要職に就任した奥野章さんは、福祉や子育て支援関連の市政に尽力してきた実績を生かし、舵取り役の一人として住民目線での街づくりを進めています。

穏やかなほほ笑みをたたえた瞳の奥には、思慮深さと秘めた情熱がうかがえます。奥野さんが副市長を務める枚方市は大阪府の北東に位置し、市内に6つの大学がそろう「教育文化都市」であり、公的医療機関や医療系大学が充実した「健康医療都市」。同市職員として奉職してから40年以上にわたり、人口40万人超の街を支える住民目線での市政に力を注いできました。

多感な青春時代を啓光学園中・高で過ごした奥野さん。「小学生の時、啓光学園の寄宿生だった友人が食事前にお祈りをする姿を見て、神童ぶりにあこがれて進学を決めた」と言います。いざ入学した同校は、異文化との出会いの場でもありました。中学から英語と同時にスペイン語の授業がスタート。あいさつなどのマナー教育を徹底しており、ルールを乱す生徒には他の生徒全員の前で校長自ら注意。啓光学園生としての自覚を促す教育に驚くことも多かったそうです。しかし、そこは「スポーツで体を動かすのが好き」な10代の少年。野球部に入り、高校では1年ながらエースで4番という中心選手に。「大阪府大会はコールド負けでしたが、創部から初めて出場できた予選でしたから、やっぱりうれしかったですね。緊張から初めて『あがる』という経験をし、いつの間にか試合が終わっていました」

高校卒業後は大学進学を経て、自身が生まれ育った枚方市に奉職。主に福祉や保育行政など暮らしの根幹を支える分野に携わってきました。とりわけ力を注いだのが、子育て支援です。保育所(園)の公私間格差を是正しようと、時間を見つけては現場を訪問。職員の顔と名前を覚えて信頼関係の構築に励みました。「前任の部署で市長秘書を経験し、各セクションの仕事が最終的に市長まで影響していくことを体感した後でしたから。真剣に責任を持って仕事を創らなくてはいけないと考えるようになったんですね。それがひいては市民に喜ばれる行政につながると自覚したわけです」

1999年には子ども課で、児童支援の専門職や学校関係者、警察関係者らが情報交換を行う「枚方市児童虐待問題連絡会議(子どもを守る地域ネットワーク)」を立ち上げました。まだ児童虐待防止法も整備されておらず、制度らしい制度がなかったころのことです。大阪府でいち早く始められた枚方市の取り組みは次々と他の自治体へ広まり、先駆者的な存在となりました。

そのように奥野さんを突き動かす原動力はどこにあるのでしょうか。「私は自分の能力がまだまだだと自分で分かっているんだと思います。だから現場へ足を運び、そこで働いている人たちの声を拾おうとする。現場を知って初めて対応力や発想が生まれるものだと信じており、その姿勢は副市長になって8年目の今も変わりません」。新入職員の研修では、「2つのCと2つのPが組織人には必要」と説きます。「コミュニケーションとクリエイティブな発想、そしてプランニング。その上でこの3つを兼ね備える形でやるべきことをプロデュースすることで、いざという時の危機管理能力を高めることにもつながります」

地方分権や、既存の自治体の単位を超えて事務を行う広域行政など、地方行政の在り方が問われており、手探りで進めていかなくてはならない課題は山積み。財源の問題もあり、高い理想を実践に結び付ける難しさも実感しています。「しかし、どんな時代であっても快適で過ごしやすい街づくりが我々の責務であり、ベッドタウン枚方の宿命です。名実ともにふさわしい教育文化都市、健康医療都市の確立を目指して、やるべきことを模索し続けます」

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