ベナンの人々から学んだ「生きる力」を子どもたちに伝えたい

青年海外協力協会 近畿支部 開発教育支援業務担当   赤嶺 結衣   さん

赤嶺 結衣 さん:青年海外協力協会 近畿支部 開発教育支援業務担当

PROFILE
摂南大在学中の2008年9月から2年間、青年海外協力隊員としてベナン共和国で活動。2012年3月同大学外国語学科卒。同年4月青年海外協力協会(JOCA)に奉職。2013年4月から国際協力機構関西国際センターに出向。奈良県出身。

赤嶺結衣さんは摂南大在学中に青年海外協力隊員となり、西アフリカに位置するベナン共和国で青少年育成活動に従事。現在は国際協力機構関西国際センター(JICA関西)で、国際協力を学ぶ研修や学校などへの講師派遣をコーディネートしています。

「入学当初は、自分がアフリカに行くことになるとは思いもしませんでした」。赤嶺さんの人生を変えたきっかけは、1年の基礎ゼミの授業でした。JICA出身者である浅野 英一教授の授業で、青年海外協力隊(以下、協力隊)の活動紹介ビデオを見て、漠然としたあこがれを抱いたそうです。それでもその時は、「あれは特別な人たち」だと思っていました。協力隊が現実的な目標となったのは、子どもたちの教育・野外活動支援などに取り組みながら国際貢献を目指す浅野教授のゼミ生から刺激を受けたからです。「自分もやりたいことを見つけよう」と、3年の時にさまざまな地域連携活動を行う「ボランティア・スタッフズ(以下、ボラスタ)」を仲間たちと一緒に立ち上げました。やんちゃな子どもたちが野外活動を通して友達を思いやる気持ちを学んでいく姿に感動し、協力隊の青少年育成活動事業への応募を決意。学童保育のアルバイトなどにも取り組み、応募資格に必要な経験を積みました。

4年に進級する前に選考を通過し、2008年9月から2年間、ベナンへ派遣されました。主な活動内容は、小学校を巡回して図工や音楽の指導、大学生向けの日本語教室や日本文化を紹介するイベントの開催などでした。「最初は学校の図書室の活性化を依頼されていたのですが、肝心の図書室が閉鎖されてしまったので、自らやることを探さなくてはなりませんでした」。そうした予想外の展開は開発途上国ではありがちなこと。枠にとらわれずに自分の役割を見つけ出し課題を解決していくたくましさや柔軟性が隊員には求められるのです。

「私が派遣される前は、図工の授業がカリキュラムにはあっても実施されていなかったようです。ものを買うお金もないし、教える人もいない状況。初めて絵を描くことに戸惑う子どもたちに、友達と向かい合って『お友達の顔はどんな形で、何がついてるかな』と聞くことから始めました」。日本文化の紹介では、大きな布に絵の具で手形を付けてうろこ柄を描く、こいのぼり作りをしました。家庭の事情で学校に通えない子どもたちにも楽しい学びに触れてほしくて、週末にも多彩なイベントを企画したそうです。

時には文化の違いによるトラブルも生じました。仕事に対する現地教員のモチベーションは低く、「おなかがすくと子どもを買いものに行かせるし、時間にもルーズ。始めの1年は衝突が多くて、話し合うことも困難な状況でしたね」。しかしそれでは何も解決しません。どうしたら歩み寄れるのかを考えた時、ボラスタで学んだ「相手のための活動」の基本に立ち返ったと話します。「日本人である自分の感覚を押し付け過ぎていたんです。ベナンにいるのだから、私が彼らのスタイルに合わせなくてはいけないのに。考え方が違っていても当たり前だと気付いてからは楽になりました」と言います。また、公用語のフランス語が話せるようになると、腹を割って話せる同僚もできました。

帰国後は摂南大を卒業し、JOCAに奉職。出向先であるJICA関西と行き来し、子どもたちと海外技術研修員が交流するプログラムや国際協力を学ぶ研修などをコーディネートしています。「ベナンでの体験を私が話す機会もあるのですが、みんな興味を持って聞いてくれます。子どもは好奇心の塊で、未知の分野を知ることでどんどん世界が広がっていきます。それは日本もベナンも同じですね」。貧しい環境でも明るく温かな人たちから教えられた「生きる力」を、日本で伝えることが自分の使命だと赤嶺さんは語ります。「たくさんの出会いが私の人生を変えてくれたように、私も誰かの人生を変えるきっかけを与えられる人間になりたい」。現在の仕事をステップに、将来は小学校の教師となり、いずれ日本語教師として再び世界へ。持ち前のフロンティア精神で夢を一つひとつカタチにしていきます。

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