学園を創ってきた人たち

設立者・校主 本庄京三郎

設立者・校主 本庄京三郎

 本庄京三郎は1868(明1)年4月、岡山県に生まれた。岡山県立岡山中学校、興譲館で学んだ後に上京して三田英学校へ進み、1891(明24)年8月に東京法学院(現 中央大)英法科を卒業した。

 その後、殖民協会に入り、1894(明27)年に同協会の唱導者で農商務大臣榎本武揚の推薦を得て農商務省に奉職した。翌年、仁壽生命保険(株)に移る。1898(明31)年静岡県に勤め、1904(明37)年米国ミズリー州セントルイス市で開かれた万国博覧会に派遣された。

 1905(明38)年、大阪府に転任して、商工業などに関する業務を担当していたが、1907(明40)年に官職を退き、大阪信託(株)に入社した。同社では信託業務の責任者として、南海電鉄沿線の開発に活躍。同社は三井財閥系の会社で、役員には、後に阪急電鉄(株)社長となった小林一三がいた。

 1912(大1)年大阪信託を退職し、同年9月に大正信託舎を設立した。米国で信託事業を研究した成果を生かし、同舎の業績を伸ばす。そして、1920(大9)年4月大正信託舎を大正信託(株)に改組した。同社は紆余曲折を経て、現在の(株)りそな銀行の信託部門となっている。

 次いで、本庄は1918(大7)年5月に、大阪電燈(株)専務取締役の坂野鉄次郎らの後援を得て、甲陽土地(株)を設立した。甲陽土地(株)は、兵庫県西宮市甲陽園に旅館、温泉、運動場、動物園、劇場などを設けたレジャーセンター甲陽公園を造り、さらに周辺の宅地開発を行った。

 甲陽劇場では中村鴈治郎、林 長三郎、實川延若、澤村宗太郎、松本幸四郎、曽我廼家五郎らの後援を得て少女歌舞伎を上演し好評を博した。また当初、夙川から甲陽公園までの交通機関としては、甲陽土地(株)が運行する乗合自動車のほかにはなかったが、本庄は親交のある阪神急行電鉄(株)専務取締役の小林一三と協議し、甲陽土地(株)が工費を寄付する約束で、夙川・甲陽園間の支線を1924(大13)年10月に開通させた。

 本庄は1919(大8)年平野鉱泉(株)、同年9月には(株)カフェーパウリスタ(本社東京)の系列会社として(株)大阪カフェーパウリスタを設立し、その社長に就任している。その他、有馬パラダイス土地(株)を設立し、社長に就任、また(株)大阪製鋼所や大神中央土地(株)の設立発起人にもなった。

 関西工学専修学校創設当時は、甲陽土地(株)社長、有馬パラダイス土地(株)社長、(株)大阪カフェーパウリスタ社長、大正信託(株)代表取締役、徳島林業(株)取締役、平野鉱泉(株)監査役および大阪府西成郡玉出町会議員であった。

 本庄は、関西工学専修学校の設立に当たり巨額の基金を寄付している。学園における在任期間は次のとおりである。

  • 同校の設立者・校主      創設当初〜1926(大15)年

  • 大阪高等予備校の設立者・校主 1924(大13)年4月〜1926(大15)年

  • 財団法人関西工学の協議員   1926(大15)年4月~1928(昭3)年

 これら業績に対して、1929(昭4)年7月に学園から退職慰労金が贈られた。

 その後、手掛けた甲陽園の宅地開発が計画どおりに運ばず、晩年は失意の身となった。しかし、現在地名に残っている西宮市甲陽園「本庄町」は、本庄ゆかりのものといわれている。

 1938(昭13)年12月死去。享年70。

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