学園史探訪

本庄京三郎(校主)と甲陽園

阪急電車の「夙川駅」から桜の名所でもある夙川に沿って北に延びる阪急甲陽線。2km程度の単線区間ですが、終点の甲陽園は「西宮七園」の一つといわれ、甲山を背に高級住宅地が並んでいます。  ホームページで「甲陽園」を検索すると町の歴史や現況を知ることができますが、ここでは特に常翔学園の淵源となった「関西工学専修学校」の校主であった本庄京三郎(ほんじょう・きょうざぶろう 1868-1938)と甲陽園とのかかわりについて触れます。  本庄は1868(明1)年4月に岡山県で生まれました。県立岡山中学校(現、岡山朝日高等学校)、興譲館で学んだ後に上京、三田英学校(現、錦城高等学校)を経て、1891(明24)年8月に東京法学院(現、中央大学)を卒業しました。卒業後は殖民協会、農商務省などに勤め、1905(明38)年に大阪府に転任して商工業などに関する業務を担当し、1907(明40)年に官職を退き、1912(大1)年に大正信託舎を設立します。

本庄が甲陽園開発に乗り出したのは1918(大7)年の甲陽土地㈱の設立に始まります。甲陽土地は、兵庫県西宮市甲陽園に甲陽公園を造り、周辺の宅地開発を行いました。甲陽土地は、民衆娯楽雑誌甲陽創刊号(甲陽社1924年刊)に「天恵に充てる東洋一の大公園」という広告も掲載しました。1936(昭11)年7月10日に発行された大社村誌には、甲陽園について「・・・本庄京三郎同年(注、大正7年)七月末工を起し、御手洗川の清流に沿ひ旧甲山道より左折北行幅四間延長三里に達する道路を園内縦横に敷設し以て、自動車を快走せしめ談笑の間甲山に詣すべく鷲林寺に達すべし、又大池附近不毛の丘阜を開拓して池の浅所を埋め以て広大の平地を作り、グラウンド、歌舞劇場、花壇、動物園を築造し、事務所、倶楽部、旅館、温泉浴場を新築し且上水道、電燈等を布設す。東本願寺大谷法主、横綱大錦、名優中村鴈次郎、喜劇王曾我廼家五郎其他阪神の縉紳相踵で別荘、居宅を建築し、東亜キネマ亦撮影所を設備し、荒涼の地は一変して一大歓楽境を現出するに至り甲陽園の名声世に膾灸せらる・・・。」(pp172-174 原文を一部現代漢字に変更しました)と記されています。

現在、甲陽園駅の東側に広がる「本庄町」は甲陽公園のあった一体で、地名は本庄ゆかりのものといわれています。また、大池の北側展望台には、「旧甲陽公園とその周辺回想図」が置かれています。

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