学園史探訪

関西工学専修学校が開校

 関西工学専修学校は、設立者・校主を本庄京三郎(ほんじょう・きょうざぶろう)、校長を片岡安(かたおか・やすし)として、1922(大11)年9月に大阪府知事池松時和氏から設置認可を受け、同年10月1日に589名の生徒を迎え開校しました。

 当初は、専用の校舎があるわけでもなく、大阪市外豊崎町にあった豊崎第五尋常高等小学校(現在、同地には大阪市立豊崎中学校があります)の校舎を借り受けての出発でした。

 「現代の要求する中堅的専門技術家を養成する目的を以て篤学の志を抱いて家庭の事情のため犠牲を余儀なくされている者のため(1922.8.31の開校を報じる大阪毎日新聞記事から)」設立した関西工学専修学校。最初は予科と本科(土木科・建築科)の夜学校に45名の講師が協力しました。本科を教えるのは帝国大学や高等工業学校を卒業した大阪府・市の技術者、京都帝国大学の新鋭学者、電鉄・電力会社の技術者が当たり、予科の講師には大阪府立の旧制中学の先生が当たりました。

 ただ、増加する生徒にいつまでも尋常高等小学校の仮教舎で対応はできません。つまり、予科の入学資格は高等小学校卒業か中学校2年修了の者で、本科は中学校・師範学校・甲種商業学校卒業の者となっていましたから、旧制中学卒業者なら16歳以上、師範学校卒なら18歳とか19歳にはなっているので、小学校児童用の机や椅子ではあまりにも小さすぎました。

 生徒のなかには40歳に手が届くような人もいましたから、机は小さく、また椅子も腰をかけるのがやっとで足は机の下に入らないというようなことが起こっていました。生徒用の机と椅子を購入したものの、早くに移転先を考えないといけないのは事実でした。そうして、開校翌年の1923(大12)年7月に、関西工学専修学校は仮校舎から南東に当たる現在の大阪市北区長柄国分寺あたりにあった大阪府有地を借用して校舎を建設することになりました。

 資料によると、「西成郡鷺洲町(現在の大阪市西淀川区)にあった小学校旧校舎を買収・移築したものを含め3棟を建てた」とあります。借地ではあったけれど自分たちの校舎の完成です。学校では、これらを「樋之口学舎(ひのくちがくしゃ)」と言いました。

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